[雑感] 一つの事は集中できる限り続けたほうがいいらしい
ニコニコ動画で鳥山明 in 徹子の部屋を見たのだけれども、この人はなんでも物がほしくなったら、その絵を数百枚と飽きるまで書いていたらしい。馬がほしくなったら馬の絵を100枚、車がほしくなったらまた100枚。当然数100枚も似たような絵を書きゃそりゃ絵もうまくなると言う話だった。
この話を聞いている途中に、そういやこれと似た話をどっかで聞いたことがあることを思い出した。遠藤周作だかなんだかよく忘れたけれども、本を読むときは一人の作家の本をそれこそ、その人のワールドにどっぷりとつかるぐらい読むことで、ものすごく濃密な体験ができるという話であった。
この2つの話の共通点は一体なんだろうか?それはとにかく似たようなことをひたすら集中し続けるということの重要性を物語っている。
同じ事を集中して続けるということは、それこそかなりの労力を必要とするが、色々と違うことを万遍なくやるより身につくことは多いということを意味している。
そういえばインドの天才数学者ラマヌジャンは、あまりに数学に熱中したためにほかの単位を落としてしまったとか言う話を聞いたことがある。これは何もラマヌジャンが数学以外の単位をとる能力が無いということを意味しているのではなく、数学にどっぷりと漬かれるようなことができる、脅威の集中力の持ち主であったということを物語っている。
それこそ周りが見えなくなり時間の許す限り数学に打ち込むことによって、ほかの人には理解できないぐらいの天才的な理論を作り上げることができたのだと考えられる。。そういやアインシュタインもこれと似た様なエピソードを持っていた気がする。アインシュタインもラマヌジャンと似たように、物理と数学に熱中して他の教科はからきしだったという話を聞いたことがある。
とりあえず今更ながら気づいたことがある。それは、あることに集中できる状態であるのならば、他の事は気にせずそれに励めということである。何をするにおいてもこの原理は通用すると思う。
しかしながら、ある種の集中状態を保とうとしても、ほかの事を気にしてしまうとどうしてもそのことに集中できなくなってしまうということは良くあると思う。これはある意味習慣として身についてしまっているから、どうしてもこの状態から抜け出すのは難しいと思う。
なんといっても日本の教育がオール5至上主義的な面があるので、ひとつのことに集中するといった姿勢というのはあまり評価されない雰囲気がどこかしらあったと思う。そういったことも原因となっていて、とりあえずひとつのことに集中せず、万遍なく色んなことをそれなりにこなすといった習慣がいつの間にか身についてしまったのかもしれない。
しかしながら、そのような習慣は実は間違いなのである。すべてをそこそこにできるような能力では、新しいものを創るということはできない。こういった習慣は実は嫌悪すべき悪習
なのである。
とりあえず集中しているときはほかの事を気にしてはいけない。いままでそうしていたからといってこれからも同じ態度でいるのは間違いなのである。集中できうる限りそれこそ周りが見えなくなるほど熱中するのが結局のところ一番良いのである。