とある3流プログラマの憂鬱 その2

というわけで、その2です。前回は簡単な自己紹介で、今回もそれに引き続いた内容にしようと思う。通常俺のようなプログラマの仕事はというと、毎日プログラム書いたり、だらだらと仕事をサボったりして給料をもらっているわけなのだけど、その中でも仕事する際に最も重要となる、エディタについて今回は語ってみようと思う。

「エディタってあのメモ帳とかですか?」とかって質問が出そうだが、そんな訳は無い。エディタといっても色々とあるのだ。俺が使ってるエディタというのは秀丸というエディタでひでまるおとかって愛称のついたエディタだ。メモ帳とどこが違うのかというと、ソースコードに色がつけられたり、マクロ機能がつけられたりして非常に高度な事ができるエディタである。使いがってもそこそこいい。知り合いにはemacsだのvimだのとわけのわからないアルファベットを羅列した欧米産のエディタを使ってるやつらもいる。俺はもちろんそういったエディタは嫌いだ。名前からしてやったら偉そうなのが、なにせ気に食わない。開発効率という点では別に秀丸が劣っているとも思えないしな。その中でも特に気に入らないのが、奴らのエディタの移動方法だ。普通プログラムをする際でも、そうでない場合でも移動といえば、上下左右キーを使うのが普通だ。なのにこいつらときたらhjklとかControlをおしたままnとか押して移動したりする。「何でそんな面倒なことするのだ?」と俺が聞いたら「これがプログラマというものだ。移動効率もよい。矢印キー?あんなの外道だね。」といいやがる。なんでもこいつの言い分によると、キーのホームポジションを変えることなくプログラムができるので、プログラムをより快適にできるとのことである。冗談ではない。俺も試しにやってみたけどこれのやりにくいことやりにくいこと。。なんでも慣れれば病み付きになるらしいけど、俺にとってはそんなの病気にしか思えられない。こいつらはきっと心底マゾなのであろうと俺は考えている。なんでも人と同じ事をしたくない天邪鬼根性というか、そういった根性濃度の高い連中なのであろう。俺はそんなことせずに、移動といえば矢印キーときめて、プログラムをこれからもしていく。

途中までその3に続く