時の洗礼を受けても生き残るものたち

大抵の本や、記事などは時の洗礼を乗り越えることはできない。なぜかというと、これらの内容は大抵の場合、一時的なものであったりその場限りの内容だったりすることが多いからである。ゆえに何かを書くときにはこういった事に須らく留意することが必要なのである。

技術的な例をあげるとすると、メモリに関する知識やアルゴリズムに関する知識などは、本質的な部分なので、よほどのことが無い限りその重要性が少なくなることは無いと考えられる。

本質的でない内容。例えばある言語特有の関数のマニアックな使い方とか、エディターの特殊なカスタマイズ方法とか特定のソフトウェアの効果的使い方とかその他いろいろ。これらの知識の有用性は時を減るにつれてその重要性は薄まるばかりである。これらは概して一時的に意味を持つ知識である事が多いと感じる。

とはいうものの、時の洗礼を乗り越えられないような知識も全く役に立たないかというと、そうではなく、なんらかの意味を持って存在しているものであるのでやはり何かの役に立つのである。

しかしながらこれらの知識はやはりその場しのぎに過ぎないことが多いので、できる限り本質的な部分に力を注いだほうがいいと思う。